しつこく時計がらみですが・・・これしかネタ思いつかないんだもんね。。
それはさておき・・・
「ミッシングリンク」という言葉はご存知でしょうか?
たしか、元々は考古学・人類学の世界で、 原始人と現代人との繋がりとなる中間の化石が発見されなかったことから、その繋がり(リンク)が途切れている(ミッシング)部分の事を指す言葉だったと思います。
なぜ唐突にミッシングリンクなどと言い出したかと申しますと、オルゴールの歴史にもそんな部分があるように感じたからなんですが・・・
多くのオルゴールの歴史を語る文献には、オルゴールの起源はフランスにあるように書かれていますね。
確かに、カリヨンが生まれたのはフランスでしたから、それは納得できる話ではあります。
でも直系のオルゴールの原型が誕生したのはスイスの時計職人の手によって・・・って、なんか納得しにくい流れだなぁと思いませんか?
先日訪れた「オルゴールの小さな博物館」では、たまたま企画展として「オルゴールの発展史展」を見る事が出来ました。
でも・・・
・起源は14世紀にフランスで出来たカリヨンである
・オルゴールは18世紀にスイスで生まれた
この二つの出来事の間の話は無かったんですよね。
(中間的なカリヨン組み込みの時計は展示されていましたけどね)
ひねくれ者の私は、時代的にはフランスだって王侯貴族華やかなりし頃でしょうし、そのままフランスですんなりと技術的な完成に流れても良さそうなものだと思ったりします。
まぁ、ヨーロッパは地続きですから、フランス生まれのカリヨンが国境を越えて伝わってもおかしくは無いかもしれませんし、時間的にも400年も間があることではありますけどね。
なぜオルゴールはそんなご先祖様から離れた場所で、脈絡無く見えるような状態で生まれちゃったんでしょうか?
その理由は・・・宗教的問題だったかもしれません。
14世紀のカリヨンの誕生から18世紀のオルゴールの発明までの中間あたり、16世紀のヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの争いがあったんですね。
当時フランスには多くの金属・宝飾職人がいたのですが、その中にはプロテスタントの信奉者も多かったようです。
一般市民の中でも最先端の技術に通ずる人たちですから、旧態依然とした腐敗体質のカトリックに反発する部分もあったのかも知れません。
そんな時代背景の中、フランスで権力を握っていたカトリックの弾圧により、プロテスタントは近隣の国に移っていきます。
スイスのジュネーブあたりはフランス語圏でしたので、金属・宝飾職人も多く移住しました。
しかしここで困った問題が・・・
実は当時のスイスはカルバン牧師のもと、厳格なプロテスタント主義の適用を強いられている状況で、教会は貴金属や宝飾品などの使用を禁止していたのです。
せっかくはるばるフランスから難を逃れてきた金属・宝飾職人たちは、今度は失業の憂き目に・・・
ん?ちょっと待った。
彼らの技術では貴金属や宝飾品だけしか作れないでしょうか?
そんなことはなかったんですね。
貴金属や宝飾品の高度な加工技術を生かして作れる「実用品」があるじゃないですか!
当時の最先端技術で「時を知る道具」、時計・・・これはスイスでも宝飾品ではなく道具と考えられたようです。
こうして金属・宝飾職人たちは、「時計職人」へと見事な転進を果たしたのです。
フランスの技術をベースに、「時計大国」スイスがスタートしたのですね。
ちなみに、フランスからの移住の証拠といいましょうか、現在でも当時からあるデザイン技法の「クル・ド・パリ」(パリの爪)を採用した時計もあります。
さて、スイスの時計産業がこのような形で始まったという事は・・・それを知った上でオルゴールの起源を見直してみると、なんとなく解ったような、ミッシングリンクを繋げられたような気がしちゃいます。
ここから先は完全に私の想像なんですが・・・
移民の時計技師たちの中にはフランスでカリヨンの仕組みを覚えた人が居たかもしれませんね。
もしかしたら、カリヨンの製作を経験した人も居たのかも知れません。
小さな懐中時計に限らず、置時計であっても、時報機能をもつカリヨン組み込みの時計を作るのは高度な技術が必要であったことは容易に理解できます。
フランスから来た高度な宝飾加工の技術は、そんな細かな作業にこそ生かされたのではないでしょうか。
そこには幸福な出会いと技術的融合があり、その融合による技術的な昇華により時計産業が栄えていきました。
そして18世紀、オルゴールという新たな時代の寵児を生み出していく・・・
な〜んて説明を無理やりくっつけちゃう人が一人くらい居てもいいんじゃないかな〜と思いまして書いてみましたです、ハイ。
Cindy的適当歴史考察でした。ちゃんちゃん。。